別海は自分に素直になれた場所

〜SAYANAの小さな物語〜

ビビってると伝わる。ちゃんと向き合うと身を委ねてくれた。

3日目の8月25日。朝5時半の少し肌寒い空気が心地よかった。今では懐かしい匂いになったちょっと癖のある牧場のにおいがする。ちょうど目の高さに牛のお乳が4つもあることに驚いた。すぐ目の前に牛たちがいた。私の腰に付けた左右にひとつづつある濃い色をしたヨウ素液の様な消毒液は左右で付ける順番が違う。まず右の消毒液の容器を押すと消毒液が出てくる。次に消毒液がなみなみになったコップのような所に、牛のお乳にひとつづつ液を浸していく。お乳に機械をつけても、いきなり出ないので、最初は人間の手で絞ってあげる。やわらかいお乳もあれば固いお乳もあるから強く引っ張らないと出ない。お乳が出たら温かいタオルで拭いてから機械を付けて、その後は機械が取れるまでの間、牛の足元をホースで洗って少し待機。ビビりながら絞っていると牛の脚で腕をけられたりもした。慣れてきてちゃんと向き合ってあげると、お乳が出たときは牛が私たちに身をゆだねてくれているように感じた。自分よりも何倍も大きな牛の搾乳も初めは怖かったけど、人間が怖がってたら牛も分かるんだと思う。

定置網漁、漁師が突然カッコよくなった。

4日目の8月26日、朝の7時半。今日は漁に出る。漁に出るまでのコンテナの中は少しタバコ臭く、散らかっていて埃っぽかった。だらしない姿勢で煙草を片手に漁のあれこれを話す漁師たち。重そうな腰を上げ、海に出る準備を始める。慣れた手順で重機を使い、船を海の中へ移動させる。小さなはしごに足をかけて手の力で体を船の中へと動かした。船の中は小さな段差しかなくそこに座ると、定置網を目指し、船が動き始めた。潮風が心地いい。定置網は想像よりもとても重かった。7.8人の漁師と一緒に網を力いっぱいひくと、大量のクラゲとともに今が旬のアキアジが上がってきた。2つ目の場所では網の中にお目当ての魚じゃなく、大量のクラゲが…。漁師さんも「こんなクラゲの量は初めてだべ」と言っていた。大きな網を使って息の合う動きで何回もクラゲをすくっては網の外に出す動作が長年やっているベテランの動きに見えた。私は物珍しさに口が開いたままだった。コンテナの中にいたときの姿とは想像もつかないギャップが、とても男らしい海の男感を醸し出し、輝いていてかっこよかった❤️

漁業体験をさせてもらった相馬さんのお宅で、ふるさと納税の返礼品になるカレイの干物作りも一緒にさせていただいた。相馬さんの奥さんやお母さんがさばいたカレイを流し台まで移動させ、ぬめりや血の塊を洗い流していく。水が冷たくて手が凍えていた。きれいに洗って並べられた魚を見ると達成感があった。その途中も「お昼ご飯食べていきな!」と声をかけてくれた。潮風に打たれて少し冷えた体が温まる。体中に染み渡っていく味が忘れられない。鮭フライ、クリガニや島エビまで出してくださった。遠方からこのご時世にやってきた私たちに最高のおもてなしをしてくれた。将来のこと、恋愛のこと、相馬さんの今までの経験など久しぶりにじっくり話せて北海道にお母さんとお姉ちゃんができたみたいだった相馬さんのように周りに優しく振る舞える人間になりたくなったし、出会えた縁を大切にして相馬さんに恩返しをしたいと思えた。

8日目の8月30日。いろんな体験をさせていただいた私たちはありがたいことに忙しくしていた。地域おこしなどの団体の方と話してみたいと思っていたが、疲れも出てきて乗り気になれなず、そういった時間はとれないかもしれないと思っていたが、地域おこしの団体「ちえのわ」の倉持さんが私たちが生活する家に来てくださり、お話しをすることができた。「ちえのわ」は根釧地区の酪農家が集まった牛乳生産団体で酪農家とその地域産業を「地の恵み・地恵(ちえ)」に感謝してつないでいくという想いのこもった団体。倉持さんは東京から別海町に移住された経験から「この寒い地域では人間関係を構築していかなと生きていけない。」と教えてくれた。家の距離が離れている分、1人では完結できず、雪国で暮らす為の知識もいる。お互いが協力しないと雪の多い不便な北海道では生活するのも厳しいのだそう。その分みんながお互いを助け合える人間関係が自然と構築されるし、そこでできた絆がまた違う人脈に繋がって地域のコミュニティが広がる。その結果生まれる想いやりが私たちのような遠方から来る人たちにも派生して、人との温かい繋がりを大切にする文化となっていってるのかもしれない。

牧場で働くフィリピン人のみんな、ロッド、アルネル、アルベルト、マヤ、ダイアナとの出会いも。

ロッド、アルネル、アルベルト、マヤ、ダイアナと花火もした

初めは英語もうまく話せないし、コミュニケーションを取れるか不安だったけど、夜ご飯を食べながらパーティーをしたとき、アルネルがパソコンを持ってきてYouTubeを流し始めた。それから1人ずつカラオケが始まり、その勢いでみんなでTikTokのダンスを踊り始めた。少しづつ閉ざしていた心の扉を開けていく感覚が心地よかった。

どんどん踊りたくなって、BBQの時もみんなでダンスをした。もともとダンスは好きだったけど久しぶりに体を動かして、みんなで笑えたあの時間が心の底から幸せだった。

言葉が違っても一緒にダンスをしたり、歌を歌ったり。そうやって心で繋がれて、みんなで笑顔になれた。初対面でも生まれた国が違っても繋がれたことがすごく嬉かった。

今の時代SNSが発達して、簡単に人と人が繋がれるようになった。でも別海町のみんなが「また別海に戻っておいでね」そう言ってくれて、また帰ってきたい、会いたい人が遠くにいて、その人たちに想いを馳せることができる。スマホの中のいいね!(👍)だけじゃない本当の意味での”繋がる”ということの幸せを感じさせてくれた。

自分の気持ちに素直になっていく

普段の私は、本当はしたくないけど、嫌だけど、と気付かないうちに自分の気持ちに嘘をついていた。別海町にきて、大自然に囲まれて、正直な動物たちを相手にして、心を空っぽにして初めてちゃんと自分と向き合えた。

4日目の夜、主催者で牧場の社長である日野裕一さんから色んなありがたい言葉を頂いた。裕一さんの今までの経験からでた「できないことがあるから仲間ができる」や「自分に合わないなら逃げてもいい」「自分の疑問に思ったことをもっと周りに投げかけることも大事」などの言葉。「全て受け入れて吸収しよう」としていた不器用な私とは反対に、「丁寧に落とし込むのにはまだ少し時間がかかる。」と素直に話した同じ村留学生のかほちゃん。その時私はすごいと思ったと同時に私はなんて適当なことをしようとしていたんだと気付き、劣等感を感じ、その日のナイトミーティング中、泣いてしまった。次の日にかほちゃんと野付半島のトドワラの遊歩道を歩きながら、お互いの気持ちを素直に話した。私だけでなくかほちゃんも自分と比べてしまっていたから。

私を素直にさせてくれたトドワラ。

モヤモヤした気持ちを帰るまで閉じ込めようとしていた私の気持ちに素直に向き合わせてくれたのは、大自然でもあるだろうし、ナイトミーティングを通して気付かせてくれた環境のおかげでもあると思う。あの時話を聞いてくれたみんなには本当に感謝しています。ありがとう。裕一さんも言ってくれた。「できないことがあるから仲間ができる」と。お互いのいいところは褒めあって伸ばして、できないことはお互いに補っていけばいい!そんな関係になろう!村留学生のかほちゃんと素直に話せたことが私にとってモヤモヤが消えた瞬間だった。私の不器用な所も見方を変えれば長所にだってなる。ポジティブに物事を捉えると、できるかわからない不安な事も少し楽しみになるし、ワクワクする!少しずつでもそうやって捉えて行けたらいいな。ポジティブに考えて行けたらいいな。そんなふうに自分の気持ちに素直でいたい。

やりたい事も、リスクに目をむけて自分の気持ちに嘘ついて、我慢するんじゃなくて村・留学にチャレンジできたように「やってみよう」村・留学で見つけた本当の自分だった。

漁に出て揺れる船の上で網を引いたり、釣れた魚の口から針を出すのも気持ち悪かったり、嫌だな、怖いなと思う事もあったけど、勇気を出してやってみると意外とできることが多かった。きっと今までもそうだった。大学のプレゼン、課題、アルバイト、広くなるにつれて複雑になる人間関係の悩みも。しんどくて、つらくて、投げ出したくなることもあったけど、なんだかんだ自分なりに解決して整理して、乗り越えてきた。自分が苦手なことも逃げずに立ち向かえるチャレンジ精神があること。この酪農や漁業などを通して改めて実感できて今後の自信につながると感じた。

当たり前が有ることの難しさを活かしていきたい

酪農も漁業も朝が早いし肉体労働だった。牛が病気になることもあるし、魚は天気によって取れるモノも量もちがう。そんな中でも毎日私たちに食べ物を届けてくれている背景を生で体験する事で、何気なく言っている「いただきます」「ごちそうさま」にも自然と気持ちが込もった。「当たり前」が有る事の難しさ”有り難う”「ありがとう」の意味を実感できた。

食べ物だけではなく、普段自分が住んでいる地元に対する当たり前も感じた。生まれ育った兵庫県の丹波市で働きたいと思っていたものの、魅力や特産品があまりないと思い込んでいた。でも、別海町にきて自然と地元を俯瞰視していた。別海町と似たような特産品があったり、歴史や有名な観光地もたくさんある。普段当たり前に触れているとそれが何なのかわからなくなってきてしまうが、考え方、捉え方でその魅力を生かすことができることに気づいた。別海町の良さを存分に知ったから、その良さをいい意味で盗んで、地元にも還元して温かい町づくりに貢献していきたいと思った。

村・留学を終えて

本当に本当に濃い9日間を過ごさせてもらいました。
とにかく楽しかったぁぁ!別海町が第二のふるさとになりました。
きっとこれからも悩んだり考えすぎちゃう事もあると思う。でも、そんな時はここで学んだ素直になって、本当の自分の気持ちと向き合っていくということを思い出したい。この9日間の思い出がきっと背中を押してくれる。みんなにまた「ただいまーー!」って笑顔で言える日を楽しみに、自分のペースで頑張っていこうと思う。

日本一の感動体験をできた私達は幸せ者です。村・留学に関わってくれた全ての人へ
ありがとうございました!!!


酒井清那   京都産業学部 経済学部 2回生

村・留学に参加したきっかけ

〈挑戦〉
 
中学生の頃から地元で働きたいという漠然とした夢があった。その夢を叶えるために大学に入学したけど、コロナ禍で思うような大学生活が送れない上、都会の便利さを知り、自分の中での夢が消えつつあった。そんな時友達から教えてもらった村・留学。
今の少し弱くて、悩み癖のある自分を少しでも変えられるんじゃないか。この村・留学はそんな予感がして思い切って挑戦した。
 
実際、北海道に行ってからも挑戦の連続だった。白紙のプランを自分達で作っていくことも初めは不安だったけど、自分のしたい事をちゃんと伝えて自分達なりの村・留学を作り、充実した9日間になった。
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