身近な海と半径50mの暮らし

ありのままでいいんだよ。
Xで流れてくるこの言葉に嫌気が差すことがあった。そんなの理想論だろって嘲笑ってた。(奄美大島に行くまでは。)

初めての飛行機
関西国際空港から奄美空港へ飛び立つ。着陸間際の窓からの景色を見て胸が高鳴った。空が広い。海が青くて濃い。私は9日間で何を経て何を得るんだろう。2024年夏、引きこもりがちな私のちょっとした冒険が始まった。

奄美空港に着くと、主催者のヒロさんが迎えにきてくれていた。これから9日間、ヒロさんのお宅でお世話になる。大きめのキャリーとリュックを置かせてもらい、お庭で育てているバナナを頂いて一段落した後、畳に寝転がった。もうガタがきている扇風機が首を振る時に軋む音、バナナの葉が風にさらされ揺れる音、鳥のさえずり、たまに私たちの笑い声。普段、喧騒だらけの大阪で常にイヤホンをして周りの音を遮断している私にとってなにか解放されたような気分だった。

お裾分け

奄美大島の崎原集落では毎朝、6時半になると集落のスピーカーからラジオ体操が流れる。ご近所さんも家の前に出てみんなで体操をしている。私も目覚ましでギリギリに起きて、走ってラジオ体操に参加する。そのあと寝ぼけながら挨拶していると、お隣のテツコ姉から「大島紬だよー」とブローチを頂いた。大島紬とは、奄美大島の伝統工芸品として有名なものらしい。「これが噂に聞いていたお裾分けか」と驚いた。毎日誰かが何かを持ってきてくれる。何かをもらうと、返したいという思いが自然と湧いてくる。私もお裾分けする側になりたい。

4日目の朝、イツコ姉に芋掘りのお手伝いをさせて頂いたのでそのお芋をスイートポテトにして、集落の皆さんに配りに行こうという計画を立てた。共に生活している2人の村・留学生の宮本とちづるちゃんと一緒に、3人で23時ごろからさつま芋を潰して形成して焼いた。

翌日、美味しく出来上がったスイートポテトを持っていくとまたさらに「これ持って行って」とイツコ姉からはゼリー、あきひで兄とキョウコ姉はお家にあげてくれて「ドラゴンフルーツのスムージーを作るから待ってて」とお裾分けされてしまった。なんてあたたかいのだ。

身近になった環境問題

2日目、ヨーコさんやケンゾー兄に伊勢エビ漁に連れていってもらった。仕掛けた網にエビが3尾引っかかっていた。ヨーコさんがお家に招いてくれてさっき獲れたばかりの伊勢海老を丸ごと蒸して振る舞ってくれた。

身がプリプリ

エビたちは、ほんの数時間前まで海にいたのに今は私の胃袋で消化されている。都会で不規則な生活を送っている私は、自炊どころか1日3食食べることが珍しい。命を目の前にして、生きとし生けるもの頂いた命なんだと余すことなくおいしく頂くことに感謝の気持ちがわいてきた。

伊勢エビを獲ってお家に戻る前にシュノーケリングもした。ケンゾー兄がおすすめのスポットに案内してくれたのだが、ゴーグルで海中を覗くと一面に真っ白のサンゴ礁が広がっていた。透明度の高いエメラルドグリーンの海に真っ白のサンゴ礁が映えて絶景だったのだが、サンゴが白くなっているのは死んでいる証だそう。ケンゾー兄は「海の温度が高いから白くなっちゃったんだろうなあ」と言っていた。ここまで全て真っ白になっているのは初めて見たと少し悲しそうにもしていた。

地球温暖化やSDGsは世間でもよく問題提起されているし、私は現代社会学部に所属しているので講義でも取り扱われることが多い分野だ。地球温暖化によって世界各地で起こっている環境問題について知ったつもりになっていた。でも、奄美大島のような世界自然遺産に登録されているような所は、まだ大丈夫だろうと勝手に思い込んでいた。実際、奄美大島はとても綺麗だ。都会にはない自然で溢れている。だけど、環境問題と無縁ではないことを目の当たりにした。たった1人が意識したところで環境は変わらない。それでも今、自分の身の回りのことから取り組まないといけないなと強く思った。

一番好きな夜

村・留学も終盤に差し掛かった頃、台風がやってきた。奄美の人にとっては台風が来るのは日常らしいが、台風がくるとスーパーから食材がなくなってしまう。皆さん、自分の食糧を確保するのに精一杯なはずなのに私たちにご飯を持って帰らせてくれたり、翌朝「朝ご飯食べたー?」とフレンチトーストを作って持ってきてくれた。

集落の皆さんからのお裾分けはどれも余りものではなく、相手を思い浮かべて持ってきてくださる。都会の便利も良いけど、誰かを思いながら作ってくれる手間暇は愛だなとしみじみした。

この台風の影響で約2日間、停電した。私たちはお世話になっている方々の安全を心配していたが、きっと心配されていたのは私たちの方だろう。でも、そんな心配をよそに私たちは停電生活を大いに楽しんでいた。電気がないからキャンドルを焚いて、闇鍋カレーを食べて、そのあと3時間ぐらいそれぞれ好きな曲を流し合った。この状況でも最大限に楽しめてしまう私たち、いま最高に幸せだなと感じた。

9日間のなかで宮本は「ジブリみたい!」って何度、口にしていたのだろう。確かにフィクションかと疑ってしまうほど壮大な自然と人の温もりに触れた。同じ時代、同じ日本に夢みたいな世界が存在していること、そこを日常として生活している人がいることを学生のうちに自分の目で見ることができて良かった。

とにかく目の前にあるものに触れた9日間

目の前に広がる青空、海、星空。目の前にいる人。たくさん教えてくれて面倒を見てくれた人。美味しいご飯を作ってくれた人。ちょっとしたジョークで笑わせてくれた人。美しいアートを見せてくれた人。口数は多くなくても気にかけてくれた人。私たちが集落の皆さんと日に日に仲良くなる姿を後ろから見守りながら愛と居場所をくれた人。

書ききれないほど素敵な出会いに恵まれた。皆さん、外から来た私たちを快く受け入れて肯定してくれた。毎日、言葉が出ないほどの絶景と度を超えて温かい人たちと触れ合った。

それを感じながら私が1番向き合ったのは自分自身だった。開放感ある暮らしの中では、自分を解放することができた。等身大で自然体でありのまま。綺麗事の理想論があの場所では現実だった。

そんな9日間を終え、大阪に帰ってきた。もうすぐ夏休みが明ける。これまでの日常に戻ってきて、これまで通り喧騒に揉まれながら生きていくのだと思う。

今のところは。

でもこれまで通りに見えてこれまでとは違う。私は奄美大島の崎原集落で過ごした日々で心を解放する感覚を知ってしまったから。10代最後の夏、私の心は満ちていた。


2024年

筆者|摂南大学 現代社会学部 2年 谷 幸美
編集|松榮 秀士

村・留学に参加したきっかけ

摂南大学FAL演習で村・留学を選択。奄美を選んだのは、遠くて、リゾート地ぽい、絶対世界違うだろうなというところに行きたくて。

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