愛知を出発して、約7時間経過。電車と飛行機を乗り継いだ長旅でへとへとになった僕の目に飛び込んできたのは <いも~れ世界自然遺産の奄美大島へ> という看板。奄美空港に到着した。空港で主催者のヒロさんと対面し握手を交わし、車に乗り込む。生活する家に向かう途中、窓全開で走る車の中で、奄美の心地よい気温、風、きれいな自然に圧倒された。「あぁ、これから今までに経験したことのない、はじめての世界に飛び込むんだな」とこの時になってやっと実感が湧いてきた。9日間生活する家に到着し、他の村留学生の風ちゃん、先月からシェアハウスをしていたさおりさんと出会う。
家の近くの海や岬へ。奄美の海は日本なのかと疑うくらい広大できれいな海や緑に放心状態になりかけた。なにより音が心地よかった。人の声や車の音といった雑音が一切なく、自分の世界に入り考え事に集中できた。この時間がとても愛おしいと思った。
交流
集落の人達のもとへ挨拶しにいき、多くの人と交流できた。集落の方達から頂いた食材で夕食づくり。実家暮らしであるため普段料理を全くしない自分にとって新鮮な経験だった。料理以外にも風呂掃除、洗濯など一人でも生きていく力をこの村・留学では身に着けることができた。
馬小屋カフェに行った。ヒロさんの知り合いでゲストハウスを営んでいる、けんおじに会いに。けんおじは出会ってすぐ音楽をかけた。僕はカホンを叩いた。全員で踊っていた。自然や絵、歌などの芸術に溢れた空間だった。
村・留学5日目。この日の朝は、ビーチクリーン(海岸のゴミ拾い)に参加した。毎月第一日曜日の朝にあるサキバル集落特有の行事だそうだ。ずっと島にいる人にとっては海にゴミがあるのは当たり前という考えがあるらしいが、一度島を離れて戻ってきた区長のスエオ兄がこの島の海を大切にしたいという思いから始まったらしい。少しでも力になれたら嬉しいなと思いながら、俺はごみを拾った。
午後は奄美パークでイベントがあり、集落の方達と一緒に島唄を聴きに行った。本来島唄というのはネガティヴな意味を含むが、奄美の島唄の原曲は厳しい現状の中で楽しもうとポジティブな感じで作られたものらしい。サキバルの方々のイメージとピッタリだと思った。生で聴くことができて良かった。
奄美パークでは、島に住む同年代のひろむ君に出会った。彼は同じ歳だが、自分のやりたいことや考え方、それを実行しているところに尊敬したし嫉妬もした。この縁を大事にしたい。
夕食はスエオ兄の家の庭でみんなで食べた。島の人たちや移住者の方などいろんな経験をしてきた方々と話すことができてとても楽しかったし、仕事・趣味・特技など学ぶべき良い刺激をもらった。この島の行事や文化、島の人たちと接することができた日だった。
ビーチクリーンをしながら、素敵な時間だなと思っていた。俺も世間ではSDGsとか環境問題があるし、綺麗な自然が大好きだから自然を保護する活動は大事だと思う。だけど、自分1人や数人だけが頑張ったところで変わらないと思ってしまうから本気でやるかって言われたら端からやらないかやっても途中でやめると思う。若い人も来ており、島全体で本気で取り組んでいる姿を見て感動し考えを改め直した。この方々のおかけで毎日美しい海に心奪われながら自分を見つめなおすという贅沢な時間を過ごすことができた。
自分を褒めてあげたい
村・留学最後の夜、「来る前の想像と全然違ったな」と星を見上げながら思った。来る前は自然に触れたり、奄美の観光スポットにたくさん行きたいなと思っていた。しかし、実際は自然にたくさん触れることはできたが、観光スポットには全く行かなかった。外に出かけず家でコーヒーやハーブティーを飲みながらひたすら語り合った時間。海や山や夕焼けの景色、星を見ながら自然を肌で感じ、潜在的な自分に正直に向き合った時間。丁寧に暮らし、穏やかな時間を過ごす。そんな時間がこの村・留学で一番印象に残っているし、大好きだった。
間違いなくこの村・留学で人生が変わった。この村・留学をきっかけに社会人になって自分の人生がどうなっていくのか自分でも楽しみになった。そして、自分の歩んでいく人生を奄美で出逢った人達にこれからも報告していきたいな。
俺は優柔不断であるため、何か物事を決めるときなかなか決断することができない。だけど、この村・留学を知ったとき、気づいたらエントリーボタンを押していた。不安なんてそっちのけで好奇心に身を任せて直感で選択した。初めての出来事だと思う。大成功だ。自分を褒めてあげたい。
大きく衝撃を受けた2つのこと
・自然の現象によってのメリットや循環するものがある
・年齢なんて関係なしに自分のやりたいことに正直に生きていい
馬小屋カフェの代表のえざわさんは「台風とか地震って都会に住んでる人達は悪だと思っているでしょう?でもね、自然災害は生きていくうえで不可欠なものなんだよ。母なる大地という言葉があるようにね。」と、興味深い話をしてくれた。俺もニュースで震災による被害の様子を知るたびに自然災害は起きてほしくないと思っていた。しかし、台風が起きることで水不足の回避や川底の汚れが取れるように、自然の現象によってのメリットや循環するものがあると気づけた。小さいころから自然に囲まれた奄美で育ち、自然に対して長い間接してきた方のお話を聞くことができて良かった。
けんおじは、定年退職してから面白いことをしたいと思ってゲストハウスを始めたらしい。「今、庭で過ごせるようにスペースを作ったり、目の前の森の木を切って建物つくるんだよ!」と、まるで少年のようなキラキラした目で言っていた姿がとても印象に残っている。定年退職したら静かに余生を過ごすものと自分の中で勝手に思い込んでいたのかもしれない。年をとったら自分のやりたいことをするのは遅すぎると決めつけていた自分がいたのかもしれない。そんなことはない。年齢なんて関係なしに自分のやりたいことに正直に生きていいと思ったし、そういう人になりたいと思った。このことに、22歳で就職する直前の時期に知ることができて、なんて幸せ者なのだろうと思った。
最後に。
主催者のヒロさん、ヒロさんの知り合いの方々、集落に住む方々に出逢うことができて本当に良かった。素敵なご縁ができた。ただの観光では自然を満喫することはできても、様々な人に出逢ったり普段できない経験をしたり、自分に向き合うことはできなかっただろう。観光ではなく、村・留学というかたちでこの場所に来ることができて幸せだ。
来る前は9日間は長いと思っていたが、実際はあっという間に終わってしまった。移住したいと本気で思った。それくらいたくさんの愛に囲まれて楽しい時間を過ごすことができた。いつでも帰っておいでと言ってもらえる場所ができた。辛いとき逃げてもいい場所ができた。そんな場所があることで、これから先どれだけ救われるだろう。感謝の気持ちでいっぱいだ。
村・留学で関わった方々、最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
筆者|林 泰輝(中京大学4年 村・留学 奄美大島’23春参加者)
編集|松榮 秀士
村・留学に参加したきっかけ
村・留学に参加したことのある友人から聞き、興味を持った。元々自然や島が好きでその中で生活してみたいと思ったのと、社会人になる前にこれまで経験したことがないことをしたいと思ったから。
筆者の林 泰輝さん(たいちゃん)の村・留学9日間の変化を、軌跡を、喜多桜子さんと廣田彩乃さんのお2人が取材されました。記事はこちら(奄美の村・留学がおしえてくれたこと<外部ページ>)