村・留学 ~琴音の小さな物語~
1日目
博多駅から高速バス「五ヶ瀬号」に乗って五ヶ瀬町へと向かう。博多のビルが立ち並んだ都会から段々と山々が広がる景色への移り変わりを見ながらバスに乗って9日間のことをあれこれ考えていた。3時間くらい乗ってようやく五ヶ瀬の文字があちらこちらに。待ちに待った五ヶ瀬町に、村・留学に私は今きたのだ。と実感した。
五ヶ瀬号を降りるなり、特産センターごかせに行き、皆でご飯を食べた。五ヶ瀬で待っていてくれた運営メンバーが「よく来たね!」と温かく迎え入れてくれて、それまでの緊張や不安がスッと溶けて、9日間このメンバーと過ごすのがとても楽しみになった。
自己紹介などを終え、村・留学生の皆のことが少しわかったところで、「うのこの滝」という滝を見にいった。道中、キノコの原木があったり、阿蘇山が見えたり、見渡せばそこは新鮮な景色が広がっていた。10分くらい坂や段差を降っていくと滝が見えてきた。足場は岩でゴロゴロしていたが、せっかくだからと岩を慎重に渡りながら滝のすぐ近くまで行った。大きな滝を見るのは初めてで、ザーっと聞こえる滝の音と自然の迫力に圧倒された。
日がくれたころ、9日間の拠点となる自然学校で夕飯の支度をした。皆で買い出しに行き、各々役割分担して白菜やにんじんなどの野菜を切ったり、ご飯を炊いたりした。そして、主役の五ヶ瀬町の料理、「特ホル鍋」を作った。そのときに主催者であり自然学校を運営している杉田英治さんとも初めて顔を合わせた。朗らかで優しそうでとても物知りそうな方だなという印象だった。鍋に切った野菜を入れ、作り方の紙を見ながら火加減の調整に手こずっていると、英治さんがとある言葉をかけてくださった。
「野菜の声を聞くんだよ。」と。
聞いてすぐはピンと来ていなくて不思議な言葉に聞こえたが、鍋に耳を澄まして聞いていると少しずつ音が変わっていく様子や中の水が減っている様子が分かった。普段家で料理をしたりするときはテレビの音とスマートフォンの情報とで、野菜の声を聞くなどしたことがなかったが、こうして、五感に集中して向き合ってみると、同じ料理でも丁寧で食材を大事に調理している感じがした。英治さんがお話ししてくださった言葉は、食べる食材にも気持ちがある、大切に食べようと思わせてくれた言葉であった。特ホル鍋を英治さんと村留学生と運営メンバー皆で囲み、団欒をした。英治さんの話を聞くなり、「えっ!」と驚くような体験を世界でされてきたお話しを聞いた。一人で孤独と戦いながら海外の川を下って、食糧も鮭を捌いて食べたりして自分で確保していたそうだ。
私がこれまで聞いた体験談ではかなりトップですごい体験をされている。あえて過酷なことに挑戦しながらもそのことを「面白い」とワクワクお話しされる英治さんは、自分のやってみたいことに挑戦しているからこそ面白いと語れるのだと思った。とてもすごい方だと思った。力強い生き方や私の知らない世界のお話しを聞いていると、私も何か面白いことに挑戦してみたいと感化された。
2日目
私の実家も農業をしているという点から、農業遺産に登録されている五ヶ瀬の農業のお話が聞ける機会があると良いなと思っていた。そうしたら、2日目にタイミングが良く、農林水産省の方との打ち合わせがあると教えてくださり、お話しを聞かせていただいた。打ち合わせの場にいらっしゃった英治さんや五ヶ瀬で農業をされている宮本さん、小林さんのお話も聞かせていただいた。
耕作放棄地である鳥の巣棚田では、ボランティアを募ってとうもろこしの栽培をおこなっているそうだ。ふと、私の地域の耕作放棄地のことを考えてみると、多くがソーラーパネルの設置がされている現状にあるため、五ヶ瀬の耕作放棄地を生かして、継続して作物を栽培することに力を注いでいる取り組みは、とても大切な取り組みであると思った。
農水省の方は、これからは人手不足で手が付けられない土地がさらに生じてくることから、「守る土地と守らない土地」という話をお聞きした。農地をこれからも守り続けていくことや、持続可能な農業はどのようにしたらできるのか考えさせられたし、自分自身もこれから考えていけたらと思った。
3日目
この日は、バーバクラブさんに訪問した。バーバクラブさんは、佃煮やかりんとう、クッキーなどの加工製造を主に3人のお母さんで行っている工房だ。特産センターごかせに行った際に、かりんとうの存在を知り、食品加工や地産地消について興味があった私はぜひお話を聞きたいと思った。工房では、二人のお母さん朗らかで優しい笑顔で迎えてくださった。工房に入らせていただくと、仕込んでいる佃煮の美味しそうな香りが漂っていた。私たちが沢山する質問に対して優しくお答えしてくださった。時には、ラベルのシートや機械までも見せていただいた。みんなに支えられて働けていること、美味しく綺麗にできた時は嬉しい、そんな時に幸せを感じているとお話をされていた。そして、「おかげさまで」という言葉が繰り返し出てきた。コツコツ、と謙虚にまさにそのような姿勢であの美味しいかりんとうが生まれているのだと思った。お母さんたちの真心と温かさが素敵な笑顔に表れていて、食べると自然と笑顔になるかりんとうを作っているのだなと思った。「おかげさまで」の精神は、日常では忘れがちになってしまう。けれども、周りに感謝することが幸せの連鎖の秘訣なのかなと思った。より大切にしていきたいと思った。帰りには袋いっぱいのかりんとうとクッキーをくださった。村・留学中にはみんなで何袋いただいたことであろう。それくらい素朴でやみつきになる美味しさだ。話を聞いて、バーバクラブがさらに好きになり、帰りにかりんとうをお土産に沢山買っていった。
5日目
さとみさんにお話をお伺いした。
さとみさんのお話を聞いて行動力と、好奇心と、アイデア力と実行力を兼ね備えている女性だと思った。まさにスーパーウーマンだと思った。何がすごいって、あらゆることに挑戦されていること。ログハウスの建設業のほか薪ストーブの販売、キャンプでつかえる薪「焚きつけタッキー」の開発、染物、フリーマーケット、五ヶ瀬の名物「高菜肉まん」の製造販売など。他にも色々。釜炒り茶やさとみさんが開発した高菜肉まんをいただきながらお話をお聞きした。あれやこれや目を輝かせながら活動されていることをお話ししてくださった。「なぜ色々挑戦されているのですか?」とお聞きすると、こういう面白いことを考えるのが好きだから。とお話ししていた。好きなことを自分で見つけ出し、それを形となってしている点がさとみさんの凄さだと思った。私もどちらかというとやりたいことがぽんぽん浮かんでくる人間だ。しかし、やりたいことを「思う」だけで留めて実際にできていることが少ない。実際にさまざまなことを実現して、成果とし、周りの人へ還元できていること。私もそうできるようになりたいと思った。そして里美さんが
「まだ若いからこれからなんでもできるよ」と感謝会の終わりに言ってくださった。五ヶ瀬に来て色々挑戦したい!と思う気持ちが高まる中、さらに後押ししてくれる言葉をかけてくださって嬉しかった。
生き方のヒント
五ヶ瀬の重鎮と呼ばれる方々のお話しを聞いた時のこと。
冒険家の方々のお話を聞いていると、なぜ私が思いもつかないようなことをされているのか終始疑問に思った。そうしたら、とある方が、本当に自分がやってみたいことを紙に書いてみるといい。誰にも見せず、自分だけがみるやりたいことリストを作るといいと教えてくださった。また、6日目酵母のパンを販売している楽流さんにお話を聞いた。そうしたら、ビジョンボードというお話をしてくださった。いきたい場所、なりたい人物などをノートにまとめて、それを毎日見て刷り込む。すると、思うことが現実に近づく。と教えてくださった。凄くいいことを聞けたと思った。早速、村・留学が終わってから、やりたいことリストとビジョンボードを作成してみた。そうしたら、前からずっと挑戦してみた方一人旅に先日初めて出ることができた。村留学のおかげで培った考え方と勇気がつながった瞬間だなと思った。自分の中では大きな一歩だった。
まとめ
2日目のリフレクションで「もう、何日もいるような感じがしています」と話したのを覚えている。それくらい五ヶ瀬は初めてきた外の人も受け入れてくれる心地よさと、安心感があった。村・留学の時間は1分1秒が詰まった時間に感じられた。村・留学のメンバーが、学ぼうと必死に考えている姿や、言語化しようとしている姿を見て、村留学のメンバーにであえたからこそ学びが共有できて、仮に観光だけであったら絶対に出会わなかった人や出来事にも出会え、学びが深められ、とても実りのある9日間だった。
村・留学では、自分のこれからの人生に種を植えるような経験だった。今回いろんな方の多様な価値観やこれまで人生を聞いて、ヒントもたくさん得られた。今回出会った五ヶ瀬の方々の生き方が眩しく見えた。いつか「これをしたい」と思った時には五ヶ瀬で出会った人の生き方や教えが導いてくれるに違いないと思った。来年からは、社会人になる。きっと働くと現実でいっぱいになり、自分の気持ちと向き合うことが少なくなってしまうかもしれない。そんな時には五ヶ瀬で聞いたこと見たことを初心に帰って思い出していきたいと思う。
五ヶ瀬で学んだことは、全てがつながっている。
これからも、蒔いた種を大切に育てるように、この学びを糧に人生を豊かにしていきたい。
筆者 中京大学 4年 市川琴音 村・留学‘五ケ瀬’22年春参加者
村・留学に参加したきっかけ
募集ページを見て「面白そう!」と思い、参加を決意。田舎や地域の持続可能、農業、地方創生、生き方に興味があり、村・留学は私自身の興味関心にピッタリだと思った。参加する一期前は予定が合わずやむなく断念したけれど、村・留学が心の中でずっと気になる存在であった。進路選択が目前に迫るなか、「長い人生の1ページになるだろう」と思い、22年春の五ヶ瀬に参加を決めた。