雪に囲まれた9日間、あたたかい暮らしの記憶

 お迎えのバスが駅で待っているとのことで、名古屋から出発した私は滋賀県の堅田駅に到着してすぐそのバスを探した。私の他に参加者は2人。少しの緊張と楽しみが混ざる。2人を見つける前に、バスを発見したので向かい、運転手の中坊さんに挨拶をした。中坊さんは気さくにお話してくれ、いくらか緊張がほどけた。2人とも無事合流し、一時間弱かけて久多へ向かう。舗装された道から徐々に山道へ。トンネルを抜けると、雪が積もっていた。

ー幸せ、豊さとはー

 到着してすぐ主催者の萌子さんと顔合わせ。これから9日間、萌子さんのお家にお世話になる。荷物を置かせてもらい、その後萌子さんと近くを散歩しながら役所や郵便局、神社を案内してもらった。久多は川を起点にまちが形成されていて、川沿いに道が作られている。その川には雪解け水が流れていて、どこまでも透明でとってもきれいだった。歩いていると常に川の流れる音が聞こえ、落差や水の流れる速さによってその音が変わるから面白い。普段名古屋で生活していて、そういえばきれいな川を見ないし、川沿いを散歩しないし、水の音にこんなに敏感にならないなと気づいた。私の住む名古屋といったいわゆる「まち」は、人の興味を引くように作られた広告看板や音楽にあふれていて、車通りも多い。無意識に意識が向く場所が多すぎて、頭と心が疲れてしまう。一方で、田舎にはそういったものがない。「田舎には何もない」というけれど、私は「何もない」という田舎の環境がむしろ自然の音や景色に意識を向けることができ、「ああ、豊かだなあ」と感じる。

その夜、萌子さんがサステナブル講義として幸せや豊かさについてお話してくださった。幸せや豊かさは頭で考えるものではなく、感覚で、自分の身体で感じられるものだという。私はよく自分が幸せだと感じる時、語彙力のなさから「幸せ」という言葉でしか表現できなかった、そう思っていた。でも、それが正解なのだと気づいた。幸せや豊かさは頭で考えて言語化するものではない。「ああ、今幸せ!」とか、「今自分満たされてる!」とか、それでいいのかもしれない。

ー手作りのぬくもりー

2日目の朝、高齢者の認知症予防の施設「いきいきセンター」を訪れた。4人のおばあちゃんとスタッフの方がいて、一緒にお昼を食べたり七並べをしたりした。

その日私は、趣味のかぎ針編みで作った手編みのニット帽をかぶっていた。それを見た小南さんは、昔、子どものために手編みのセーターを編んでいたという話をしてくれた。子どもが大きくなったらそのセーターを一度ほどき、同じ毛糸を使ってまたサイズを大きく編みなおすというのだ。一度編んだものを時間が経ってからほどくと、毛糸に型がついてしまっている。それを小南さんは、「ゆのし」をして毛糸を伸ばしたうえで、再び編みなおすと言っていた。「ゆのし」とは、ほどいて縮んでしまった毛糸をお湯に浸け、そのあと竿に引っ掛けるという作業で、それをすると新品の毛糸のようにまっすぐになると教えてくれた。手間のかかる作業だ。しかし、手間をかければ、長く使えるものはたくさんあるということを改めて感じた。そして、一着編むのに時間のかかる手作りのセーターは、よりあたたかさを感じるだろうと思った。今は普段使う物が手作りであることの方が珍しいけれど、昔は何でも手作りだった。いきいきセンターの2階には、おばあちゃんたちが若いころに久多で使われていたという民具が展示されていた。その民具の作り方から使い方から、一から説明できてしまうおばあちゃんたちは、道具を作り、手作りの道具を使うということが当たり前だった。人が手で作った物や道具にはぬくもりがあり、命がある。そういうものを、もっと大事にしたい、長く使いたい。

-美味しいごはんって?-

4日目。この日、久多に来て初めて雪が降った。それくらい寒い日だった。

朝からおにぎりと味噌玉、沸かしたお湯を準備し、レジャーシートを持って、お昼はどこかいい場所を見つけて食べようという予定を立てた。午前中は、鶏を飼っているという山本さんのお家へ伺い、チキントラクターの設置の見学をさせてもらった。チキントラクターとは、鶏のケージのことで、床が金網になっておりそこに生えた雑草を鶏が食べてくれる。燃料も電気も除草剤も使わない、「天然の草刈り機」として知られている。お昼ごろに設置が終わり、山本さんは用事のため家を出ることに。「お昼はどうするの」と聞かれ、どこか場所を見つけて持って来たおにぎりとお味噌汁を食べることを伝えた。すると、「外は寒いしよさそうな場所もないから家で食べていきな」と山本さんはお庭にすっと椅子を持ってきて、鶏が入っていた四角いケージを机にしてテーブルを作ってくれた。お昼までお庭に置かれていたおにぎりたちは、冷めるどころか冷えていた。お味噌汁用に水筒に入れてきたお湯も、すでにぬるくなっていた。そんな冷たいお昼ご飯を、雪の積もるお庭で準備した。

「いただきます」3人で手を合わせた。どこを見ても雪の真っ白な久多で、朝握ったおにぎりを食べる。不思議なもので、出来立てほかほかのご飯じゃないのにとてつもなく美味しかった。感動した。誰かと準備して、場所を作ってくれる人がいて、寒い中食べる準備をして、みんなで円になっていただきますと手を合わせる。雪の積もった田んぼと山を眺めながらおにぎりをほおばる。食べるまでの、この一つ一つの過程すべてにストーリーがあって、すべてが愛おしい。ご飯の美味しさは出来立てかどうかではなく、誰と食べるか、どんなストーリーがあるか、なのだ。出来立てのあったかいごはんが一番美味しいに決まっていると思っていた私は、ご飯の美味しさは出来立てかどうかではない事に気づいた。

-モノの循環-

5日目は、朝から日本の伝統工芸である藁細工を体験させてもらった。あきさんが家まで道具一式を持って来てくださり、亀の箸置きと久多のお家によくある鍋敷きを教えてくれた。あきさんは、久多の駐在さんの奥さんで藁細工をお仕事にされている。手作業で藁を編んでいくのは、簡単なようで実はとっても難しい。手や指の力を常に使い、緩まないようにしっかり押さえておく必要がある。全体のバランスも見ながら、藁を編んでいくのだ。2日目でお邪魔したいきいきセンターで見学した民具にも、藁を使っているものがたくさんあった。蓑、草鞋、鍋つかみ、鍋の蓋、タゴモ(農作業の時に、直射日光が当たらないように背負う背当て)、カンジキ(雪道を歩くときに履く)などがそうだ。すべて日常生活で欠かせないものである。それらすべてを、おばあちゃんたちは若いころ手で作っていたのだと思うと、膨大な時間と技術が必要となっただろう。

あきさんは藁細工に使う藁を買うとなると安くないため、なんとお米作りも藁細工とともに始めたという。お米を収穫して残った稲を乾燥させて藁にし、それを使って作られている。これを聞いて、私は昔の人の手仕事は本当に「無駄がない」と思った。米を作って食べた後、残った藁は編んで生活の中で使用する道具となる。稲から育てて収穫し、藁で道具を作るところまでゴミが出ない。使い古しても、藁で作っているので自然に還る。昔の暮らしは、自然のものを使い、自然の循環にのっとっているからこそとても合理的だと感じた。「持続可能」な暮らしってこれだ。

-久多の伝統・トチへし-

久多ではトチの実をモチ米に混ぜて作るお餅が伝統で、トチモチを作っている方がたくさんいらっしゃった。トチモチを作るには、そのままだと固くて苦い。トチの実はまず下準備として、あく抜きをしなければならない。トチの実を一週間から10日ほど水に浸し、天日でカラカラになるまで乾かすのだそう。そうしたトチの実をゆでて割り、殻をとる作業がある。これを久多ではトチを「へす」という。この「トチへし」を、久多のトチモチ作りの師匠ともいうべき小南さんに教わりながらまちの作業場で体験させてもらった。トチの実をへすときは「トチへし」という専用の道具があり、それをうまく使って殻を割っていく。

トチへしが終わり、コーヒーを飲んでみんなで休んでいるときに小南さんはこう言った。

「誰かて一年生から始まる。一年生がないもんはおらへん」

雪の積もる寒い久多での暮らしは、いつもそばに人や命のぬくもりを感じる、愛に溢れた9日間であった。日常の些細なことに対して目を向け、感謝したくなったり、あたたかい気持ちになったりして胸が熱くなった。名古屋に帰ってきて、久多で食べた食事が恋しくなり、材料を買ってきて作っては、久多を思い出しながら味わった。もちろん、箸置きは、あきさんと作った藁の亀。お漬物は、3日目にインタビューをさせていただいたハツさんの山菜工場にて最終日に買ったこだわりの田舎漬。ご飯とお味噌汁とお漬物で満足できる、素朴ながらも最高のご褒美である。こんな小さなことで毎日がちょっと楽しくなる、心が前向きになる。久多で経験した数えきれない思い出と、日々過ごした中で感じ得たことや新しい価値観はきっと、これからの私を支えてくれる大切な記憶だ。

雪に囲まれた9日間、あたたかい暮らしの記憶

村・留学久多24冬 参加者 佐々木陽菜
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