村・留学の声

村は大きなシェアハウス?

2月末に初めてPaKTの長野県栄村への村留学ショートツアーに参加させてもらった。年末にPaKTの皆と知り合う機会があり、もともと地域興しや日本の村文化や自然に興味があったの私は、迷わず参加させてもらうことになった。

初めて行った栄村の感想は、〝雪〟日本一の積雪量を記録した事もある豪雪地帯のため、雪は民家の入口がわからないくらい積もっていて、とにかく量が尋常ではなかった。しかし雪を消すために常に水が吹き出している消雪装置や、民宿にあった昔ながらのいろりなど、厳しい冬を乗り切るための文化も垣間見ることができた。そして栄村を訪れて特に印象に残ったのは、人の温かさだった。宿泊先の苗場荘の女将は私達を快く迎え入れてくれ、また初対面の私の進路の相談にも、親身になって乗ってくれた。

_DSC0434私は栄村のこの〝人の温かさ〟に惹かれ、アルバイトとしてGWにまた苗場荘へ行く事になった。
2月に行った時とは、栄村はまた大分景色が違っていた。すさまじい量であった雪はほとんど溶け、背後にそびえ立つ新緑の苗場山や、見ているだけで足がすくみそうな千曲川の清流が流れる渓谷など、冬には見ることのできなかった部分も感じ取ることができ四季の自然がとても豊かてあることがわかった。

そしてここでも強く私を惹きつけたのは、村の人々の寛容さだった。

苗場荘の女将のご親戚の方達と食事をご一緒させてもらったり、苗場荘にお手伝いに来ていたおばさんが村留学で企画していた山菜取りツアーへの帯同を二つ返事でOK出してくれたり、バイトなのにこんなにご馳走してもらっていいの⁈ってくらい山菜やイワナや鹿肉など山の幸をたくさんいただいたり…
その時になんだか昔懐かしいような、温かい気持ちになったのだ。
そういえば僕の実家も宴会をする時は、親戚近所ひっくるめて家に集まって騒いでいた。僕はその騒々しくも、温かい感じを嫌いになれなかった。それをここに照らし合わせていたんだと思う。

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このような宴会や、おすそわけの文化、田畑での共作業などから見られるように、村の人達は1人では生きてはいない。皆で苦楽を共にして生きている。ある人は「毎日朝から一軒一軒回ってお菓子を食べてお話しているから、お昼ご飯なんていらないよ。確かにめんどうだけど、大変な時は皆一緒だからね。」と笑って話していた。

しかし都会では近年、自殺や孤独死などの問題が深刻となっている。

それは都会の人々は、部屋が隣同士であるのにお互いの顔を知らないように、密着型のコミュニティには属していないからだ。この問題をなんらかの形で解決できる可能性が村にはあるのではないか、と私は思っている。

最近、〝シェア〟という言葉が都会では流行しているようだ。

しかし村ではそれよりずっと前から、辛いことも、楽しいことも、皆で分け合い、共有し、シェアをしてきた。昔から村人達は意味とか損得だとかそういうものを考えてそうしてきたのではない。生きるための知恵として、そうした生き方をしてきたのだ。それが形として都会に擬似的に現れたのがシェアハウスなのではないか、と私は思う。

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人間は1人では生きていけないことを、村は示しているのではないだろうか。

村だからこそある可能性、過疎地域だからこそある可能性、都市の問題解決の可能性を、私は村留学を通じて、見つけて行きたい。

(関東学院大学 文学部 3年 宮武優太郎)

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