留学生の声

【南山城村と歩み続けてきた語りべ】「道路のゴミを見ると、つい掃除をしたくなるんです」No.005井上文子

村に長く住む人の『物語』

 

南山城村の北部にある童仙房という地区は、標高500mに広がる茶畑と静かに佇む集落が広がっている中山間地域だ。この童仙房という地区はいったいどのようなところなのか。どのような思いを持って住んでいるのだろうか。童仙房にある唯一の山荘を息子さんである博文さんと営まれている井上文子さん(72)に童仙房の話を聞いた。文子さんは、幼少期を童仙房で過ごし、そのあと、結婚を期に童仙房に定住したそうだ。童仙房に長く住み、愛着を昔から持っていたはずの文子さんから童仙房の印象を聞いたところ、驚くべき言葉が返ってきた。「おかゆすすってでもええから下の方で暮らそうか」と主人に言ったことがあると。どうして、文子さんは童仙房に今でも住み続けているのだろう。そこには、多くの苦労のなかにある強い決心と思いが詰まった童仙房での『物語』があった。

 

村のために、わたしができること

 

昔から童仙房に行くためには、山の中も続く長い一本の村道を通らなければならなかった。しかし、村道は整備が整っているわけではなかった。昭和28年には山城水害が起こったことによって、植林山が崩れてしまい、村道が通れなくなったこともあった。そしてその後、人が歩ける程度の道ができ、行き来することはできるようになったが、舗装されていないために、雨が降ったら水がごそっと村道にあふれでてくる状態であった。そのように、童仙房に続く村道は決して便利な道ではなかった。文子さんは、このような不便さにたまらなくなり、童仙房から離れたいと言った。さらに文子さんが結婚された昭和40年代の童仙房には、駄菓子屋や酒屋などの商店がなく、童仙房に住む人達はわざわざ舗装された道を通って、買い物に行かなければならなかった。ある時、このような状況をみて、文子さんの旦那さんがこのように言ったそうだ。「この道はなんとしてでも、みんなのために車でも単車でも走れるようにしたい、これが俺の夢」と。このことを聞いて、文子さんは困惑した。しかし、『童仙房に続く道を舗装すること』は童仙房の人たちにとって、とても重要なことである。文子さん自身も不便さを痛いほど分かっていた。だからこそ、童仙房に舗装された道路を造らなければならないという気持ちにつながった。

 

まだまだ『物語』は終わらない

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文子さんと旦那さんは、道路の舗装に向けて、日々を奮闘した。そして、その努力が報い、村議会において道路舗装が可決されることになった。当時のことを思い出しながら、文子さんはこのように言った。「童仙房の道をかけることに関して、村会議員は誰一人反対しなかった。議案がでたら何かと反対するのに。童仙房の道に莫大のお金がかかるのに、誰一人反対しなかった」と。文子さんと旦那さんの、童仙房に住む人に対して何かしたいという強い想いが村を動かし、実現した時だった。道路を舗装するという旦那さんを応援し、そして実現した今、文子さんは「道路にゴミが落ちていたらつい掃除してしまう」と言う。文子さんにとって童仙房に続く道路はただの道路ではなく、旦那さんと一緒につくってきた思いが詰まっている道路だ。だからこそ、つい掃除をしたくなるのかもしれない。そして、この道路があるからこそ、文子さんは童仙房に住み続けているのかもしれない。最後に、文子さんがとてもわくわくした顔でこのように語ってくれた。「私は死ぬまでにもうひとつ何かしたい。72歳だけど。大人しくしろと言われているが、何か童仙房でしたい」と。まだまだ、文子さんの童仙房での『物語』は終わらない。(文:立命館大学3年生 西田昌平)

 

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