暮らしのヒント

〜りょうがの小さな物語〜

4月30日

村・留学が始まって最初に迎えた伊豆での朝。

朝食を食べた私たちは作業する服装に着替えて、宿泊している古民家のすぐ近くにある広い畑の前に集まった。畑の前にいたのは松田さんという女性と海老名さんというおじいちゃん。松田さんは「この畑全部使って大豆を作るの」と言った。続けて松田さんが海老名さんの紹介をした。「海老名さんはね、すぐ近くに住んでいて、農作業のベテランとしてこの日の作業を監督してくれる人でーす。」だそうだ。なんとも頼もしい。「あの耕運機を使ってね、畑を耕してほしいの。」と松田さんからお願いされた。

私は地元で耕運機を使うことがあったので引き受けたが、耕運機というものは形が様々にあり、経験が豊富でない私には目の前の機械の動かし方をすぐには理解できなかった。海老名さんと松田さんと3人で、レバーを引くとか、ハンドルをまわすとか色々試しながら操作の仕方を探って、やっと動かせるようになってから作業がスタートした。この畑は数日前に一定の向きで耕した跡が残っていて、それと垂直の方向に耕すように言われた。違った方向から何度も耕すことで作物が深くまで根を張る土のやわらかい畑が完成する。

海老名さんから「耕運機は小回りが利かねぇから、この列を耕したらその隣じゃあねくて、もいっこ隣を耕せ」と教えてくれた。耕運機のエンジンの音が大きくて声はよく聞こえなかったが、ジェスチャーを見るに多分そう言っているのだろうと察した。

これは以前に耕運機を使った時、父親に教わったことと同じだった。場所が違っても、同じことを教わるもんだなぁと思った。耕運機はエンジンの力で、でこぼこの畑をずんずん進む。しっかりハンドルを握っていないとあらぬ方向に進んでしまうので気の抜けない作業だ。ハンドルを握って耕運機についていくだけだが、それでも長時間やれば疲れてしまうので松田さんと交代しながら続けた。

交代の瞬間は自走する耕運機を止めずに、せーので運転を入れ替わった。

1時間ぐらいかけて作業が終わった。この広さをたった1時間で耕してしまうのだから動力は偉大だと改めて感じた。人力で耕すなら一人だと丸1日以上かかってしまうだろう。そしてへとへとになって動けなくなってしまうだろう。そう考えると、動力の無かった時代の暮らしは想像を絶する。

5月4日

この日は朝から15時ぐらいまで田植えをした後、米の苗の容器を用水路で洗っているときに、一緒に田植えをした松田さんに再び話しかけられた。「さっきね、堆肥を持ってきてくれた人がいたから、この片付けが終わったら一緒に堆肥を撒いてもう一回耕したいんだけど手伝ってくれるかなぁ?」まだ時間はあったし、断る理由もない。すぐに畑に向かった。堆肥を撒きながら、松田さんにあとどれぐらい耕すのか尋ねてみた。「うーん、植えるまで週に一回ぐらいは耕したいから、今日耕した後にあと3回ぐらいはするかなぁ。」耕す回数は多いに越したことはないが、まだそんなにやるとは思ってなかったので驚いた。「大豆は生命力が強いからそんなにやらなくても十分育つんじゃあないですか?」「そうかもしれないけどね、1回目より2回目の方が多く耕したら、その方がたくさん収穫できたから、今年はそれより多くしてデータを取りたいの。他にもうねの高さとか草取りの頻度でも比べてみるつもり。」と意気込んでいた。

私も毎年大豆の栽培を手伝っているので、収穫した大豆はどうするのか松田さんに聞いてみた。「大豆はね、生のまま普通に売っても一般のお客さんは使い方が分からない人が多いからあんまり買ってくれないの。だから大豆ができたら地元の豆腐屋さんに買ってもらうの。豆腐屋さんとしても出来るだけ身近なところから良い大豆を買いたいって思っているから喜んで買ってくれるの。物を売りたいなら価値の分かる人をターゲットにしなさい。」この話を聞いたときは大きな声で「なるほどー」と言ってしまった。

自分たちは今まで、頑張って大豆を作ってもあまり売れなかったからモチベーションにつながらなかったが、この話を参考にしようと決めた。そう考えてからは今年の大豆作りが楽しみになってきた。

私は18歳で進学するまで、故郷である宮崎県五ヶ瀬町に住んでいた。他所の人々の暮らし方も知らなかった。故郷では畑をやって、田んぼをやって、家畜を育てて、薪を作って天気と季節に合わせる暮らしを見続けてきた。村・留学に行く前は、「自分の知らない地域にはどんな生き方をする人がいるだろう」と期待していた。しかし伊豆に行ってみて出会った人たちは、今まで見てきた故郷の人々とほとんど変わらなかった。ただ、生きるために必要なことを一生懸命にやっている人たちだった。

将来私は、楽しい商売がしたいと考えている。自分で頑張って良いモノを作り、お客さんに喜んで買ってもらう。そんなお互いが豊かになるような商売がしたい。今回の村・留学で出会った松田さんや様々な人々の暮らし方の工夫は将来に役立つヒントだと思った。これからは村・留学で見つけたたくさんのヒントを活かして自分の地域を盛り上げたい。

2022年

筆者 熊本大学 3年 氏名:杉田遼河

村・留学に参加したきっかけ

父が村・留学五ヶ瀬町の地域主催者をしており、家族として受け入れ側で運営をサポートしていた立場として、村留学に参加した全国からくる大学生を見ながら色々なことを考えた。 自分が住む五ヶ瀬とい地域は本当に他所から来た人に対して誇れる所なのか、自分も他の地域の村留学に参加すれば同じように感動出来ることがあるのか、他所の人たちはそこでどのように暮らしどのように地域を想っているのか、村・留学は他所に行ってみないと分からないことを勉強できる機会だと考え、参加を決意した。

 

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